「何のためにそんなに鍛えてるの?」
「何を目指してるの?」
「どこに向かってるの?」

筋トレをしていると、一度くらい言われたことがないでしょうか。

スポーツ選手でもない。
誰かに頼まれたわけでもない。
ただ好きで、筋トレをしている。

でも、トレーニングをしない人からすると、それがちょっと不思議?に滑稽?に見えることもあるようです。
(ちなみに過去の筆者も、完全にそっち側でした笑)

そんなときに知っておきたいのが、あのソクラテス

「無知の知」で知られる古代ギリシャの哲学者ですが、実は約2400年前、身体を鍛えることについてもかなり熱く語っていたという記録が残っています。


「自分の身体の可能性を知らないまま老いるのは恥」

ソクラテスの弟子・クセノポンが残した『ソクラテスの思い出』には、こんなエピソードがあります。

ソクラテスはある日、若者エピゲネスの身体を見て、「運動が必要そうだな」と声をかけます。

するとエピゲネスは、「いや、私はアスリートではないので」と答えます。

なんだか2400年前とは思えない会話です。

しかし、ソクラテスはそこで終わりません。

身体を良い状態にしておくことの重要性を説いたうえで、最後にこんな趣旨の言葉を残しています。

「自分の身体が、強さと美しさをどこまで高められるのか。それを知らないまま老いていくのは恥ずべきことだ」

これを読んで、

「それ!言いたかったのそれ!」

と思ったトレーニー、けっこう多いんじゃないでしょうか。


人が身体を鍛えるべき理由

個人的に面白いのは、先ほどの若者が「自分はアスリートではない」と言っているところです。

しかし、ソクラテスの考えはシンプルでした。

人間は、何をするにも身体を使うから。

仕事をするにも、遊ぶにも、何かに挑戦するにも身体を使う。

さらにソクラテスは、一見すると身体とは関係なさそうな「考える」という行為についてまで、身体の状態が影響すると考えていました。

つまり、身体を鍛えるのはアスリートだけのものではない。

身体は人生のあらゆる場面で使うものなのだから、できるだけ良い状態にしておいた方がいい。

2400年前の話ではありますが、考え方としては今にも通じるものがあります。


ソクラテス、実際に運動もしていた

そして調べていて、さらに面白かったのがここ。

ソクラテスは、口で「身体を鍛えろ」と言っていただけではないようです。

クセノポンの『饗宴』には、ソクラテスが踊りを見ながら、「自分もこれを習いたい」言い出す場面があります。

周囲は笑いますが、ソクラテスは大真面目。

健康のために運動したい。食事をもっと楽しみたい。よく眠れるようになりたい。

そんな理由を挙げています。

さらに、長距離走者のように脚だけを発達させたり、拳闘家のように上半身だけを発達させたりするのではなく、身体全体を動かしてバランスよく発達させたいという趣旨のことまで話しています。

現代のトレーニーが聞いても、妙に納得できる話です。

しかもソクラテス、「少し出すぎた腹を小さくしたい」という趣旨のことまで言っています。

さらには朝から一人で踊って運動しているところを知人に目撃された、というエピソードまで残っています。

急に親近感が湧いてきませんか。


2400年前にいた「トレーニーの代弁者」

もちろん、古代ギリシャと現代では社会も、身体を鍛える目的もまったく違います。

当時は戦争に備えるという現代とは異なる背景もあったでしょう。

それでも、

「自分の身体がどこまで強く、美しくなれるのかを知らないまま老いるのはもったいない」

という考え方は、現代のトレーニーにも刺さるものがあります。

別に誰かに褒めてもらうためじゃない。明確なゴールがなくてもいい。

自分の身体がどこまで変わるのか見てみたい。
昨日より少し強くなりたい。
自分史上最高の身体を作りたい。

そんな気持ちを、まさかの2400年前に言語化してくれていた人がいました。

ソクラテス、もしかしてトレーニーの代弁者なのでは。

次に誰かから、「何のために筋トレしてるの?」と聞かれたら、「ソクラテスに聞いてくれ」

でいいかもしれません笑

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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